※本記事は2014年頃に『お豆腐通信』に執筆した記事のリライトです。
まず、古典万歳(いわゆる現在のしゃべくり漫才の起源で、
門付けの祝福芸能。その起源は狂言より古く、1000年以上前と言われています。)は、
現在判明しているだけでも30近くの種類があります。
大体がその地域名を冠して、○○万歳と呼称されています。
今回ご紹介するのは、その中の愛知県名古屋市に伝わる尾張万歳を保存・継承している、
「尾張万歳家元 五代目長福太夫 北川幸太郎」を筆頭とするグループです。
他の衰退著しい全国各地の万歳保存会同様、会員の減少は否めませんが、
非常に活発に活動していらっしゃいます。
おそらく年間の公演回数・会員数は、全国の保存会の中でも一番ではないでしょうか。
そして公演回数に比例しその芸も非常に洗練されており、特に「御殿万歳」の完成度には定評があります。
しかし、このまま古老の会員がいなくなると途絶えてしまう芸もある、という事で、近年失われかけた芸の伝承が開始されました。
万歳は門付けの祝福芸だと書きましたが、実は時代が下ると「三曲万歳」という、音曲を入れた面白い演目が出てきます。
この「三曲万歳」には、「段もの」と「アイナラエ(なぞかけ)」の2種類があります。
どちらも使用する楽器は、三味線・胡弓・鼓の3つです。
このうちの「アイナラエ」については尾張万歳でも以前から、また他の一部の地方でもたまに演じられたりもしてきました。
しかし「段もの」については長らく途絶えておりました。
具体的には、昭和52年に復活上演された時点で20年程度、さらにそこから30年程度途絶えておりました。
「段もの」とは、歌舞伎の有名な場面をパロディ化したもので、三曲の地方(じかた)が進行をし、要所々々で役者が面白おかしく芝居をします。
これは非常に大変な演目で、まず人数が大勢要る。
そして何より、その人数分の衣装やカツラが要る。
尾張万歳保存会では、一度途絶えた時点でほとんどすべての衣装や小道具を処分していたのです。
上記2回の公演では、国や大学からの援助で衣装を借りる事が出来ましたが、それでは恒常的な公演は行えません。
やはりこの演目は絶えてしまうのか…、と思われていたところについ最近、国や市からの補助が下り、徐々に衣装などを揃えられる目処がたったそうです。
そして北川氏始め古老の方々は、来年1月にある公演に向け、若手に必死で三曲万歳を教えています。
それも現存する映像資料のほとんど全て、また上記2回の公演で上演したのは「忠臣蔵三段目」という演目のみなのですが、今回は「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」という演目に挑戦するそうです。
そもそも「段もの」は台本だけでも50以上残っているので、少しでも多くの演目が後世に引き継がれるのは喜ばしい限りです。
それだけではありません。
実はもう1つ、ほぼ途絶えていた演目があります。
「五万歳」と言って、これは門付け万歳の原型とも言えるものです。
2人1組(太夫・才蔵)で、太夫が祝詞のようなものを延々と語り、才蔵が合いの手を入れつつ鼓を打つという、現代人が聞くと全く何を言っているのかわからないようなものです。
これについても、北川氏が古い文献・録音・映像などの資料を集め、若手世代に継承し、その若手達の実演の動画をこの程ホームページ上にアップするに至りました。
さて、「現代人が聞くと全く何を言っているのかわからないもの」、と書きましたが、これは現在ホームページ上にアップされている動画だけのお話ではありません。
私は現在の保存会の古老の、もう1つ上の世代が演っている五万歳の映像も見た事がありますが、やはりわけがわかりませんでした。
しかし、ある時別の地方のある万歳師がその五万歳を口ずさんだのを聞いた時、衝撃が走りました。
もちろん映像と生との違いはあるのですが、演る人によってここまで違うのかと。
確かに詞章が難解である事に間違いはないのですが、感覚的に何を伝えるものなのかがわかるのです。そして一言目の発声から、万歳独特のとてもおめでたい雰囲気がある。
狂言に造詣の深い方は、四世茂山千作が舞台上で一言目の台詞を言った瞬間を想像していただくとわかりやすいかも知れません。
私が映像で見た五万歳がほぼ詞章を読み上げているのに対して、その人は詞章全てに独特の節回しを付けていました。
もしかして、と思い私は北川氏に尋ねてみました。「五万歳というのは人によって全然違うものなのですか」と。
答えはYESでした。門付け同様、人によってアレンジがあり、節を付ける事もあると。なる程こういう所が土着芸能の懐の広さです。
ある胡弓奏者が言っていました。
「芸自体は途絶えてしまっていても、譜面さえ残っていれば、ある時天才が現れてそれを復元、あるいは譜面以上に膨らませる事が出来るかも知れない。そのために、形だけでも残っている事は重要である。」と。
たしかに芸能の源流は生きるための糧を得るための「手段」であり、糧を得るためではなくなった時点で、本質が別のものになる。
しかし、形すら残っていなければどうしようもない。現に万歳の源流である大和万歳については、どんな芸能であったかほとんどわかっていないわけです。
だから後の世代に、「保存」という形であっても残す事に大いに意味はあると思うのです。
と、本当はここからさらに北川氏の故小沢昭一氏を始めとする幅広い交流やエピソード、また私自身の関りについてもお話ししようとしたのですが、丁度紙面も尽きたようですので、それはまたの機会に。