万歳からのぞきからくりまで 狂言師が実演する放浪芸

加賀万歳

国重要無形民俗文化財

加賀万歳の特徴

越前万歳が加賀の金沢に飛び火したものが加賀万歳です。
それとは別に、加賀で生まれた加賀独自のものもありまして、これを当時は「地万歳」と呼んで区別していたようです。
越前万歳に由来する物ではあるが、能の姿勢を真似て新しい舞型を作り、さらには謡曲の節に学び、ゆったりとした高雅で品格のある万歳歌が特徴で、その大成は文化・文政(1804-30)の頃、当時金屋町に住んだ、加賀宝生の能楽師大石藤五郎によると言われている。

加賀万歳には相当野卑・猥雑なものも多かったようです。
例えば浅野川川下から出て、郭通いや男女の情死を唄い歩いた「隠亡(おんぼ)万歳」は、主に女たちだけで演じられました。しかし淫猥とされた詞章のせいか、大正時代には既にほとんど跡を絶ち、現在では何の手がかりも残されていません。

現在演目は、六十余番伝わっているそうです。
小倉百人一首・町尽し・松尽し・北国名物魚尽しのような優しい流れるような調子の「流し」
北国下道中・婚礼道具尽しのような「まず1番の」という風にうたわれる加賀万歳の醍醐味「番物」
寿命長久寿万歳・御代の春のような拍子に合わせて歌われる「拍子物」
式三番叟・寿命長久寿万歳のような格調高い「式舞」
七福神・もちつきのような滑稽な舞い方の「曲舞」
鳥刺し・宇治川先陣物語・お長右衛門ろ梅ケ枝手水鉢・お福の嫁入りのような扮装を凝らし大胆・自由に舞う「所作舞」
などに分けられます。

詞章はどれも非常に面白いです。

御殿万歳を身上とし、一般には座敷でしか唄い舞わなかったと言われています。
正式に何番も続けてやる場合は、必ず最初に「式三番叟」、次に「流し」もの、そして「小咄(落とし噺)」を挟んだ後、最後に「番物」を演じます。寄席で演じる場合は、さらにこの後総出で手拭をかぶり、太夫も素襖を脱いで才蔵と同じ格好で踊ったりもしました。その踊りが「こんたん踊」「はや踊」です。

加賀万歳の装束

太夫
黒侍烏帽子・紋付(梅鉢の紋、現在は各人の家紋の場合が多い)・素襖(麻墨染め、子持ち縞鶴の大紋)・袴・小刀・扇(梅鉢の紋、現在は金(表)銀(裏)の物を使用)
才蔵
赤大黒頭巾(番物の際はかます帽子、寿命長久万歳では兜型烏帽子)・紋付袴・扇・小太鼓

加賀万歳の今

加賀萬歳保存会によって保存・継承されている。
故小沢昭一の「日本の放浪芸」
に「お福の嫁入り」が収録されている。