万歳からのぞきからくりまで 狂言師が実演する放浪芸

ワッハ上方

ワッハ上方は、砂川捨丸を語る上で欠く事の出来ない存在です。

ワッハ上方
正式名称 大阪府立上方演芸資料館
と言います。

大阪人にとっては、「ナンバのジュンク堂の上」という表現が1番ピンとくると思います。その他の人にとっては、「大阪の吉本の劇場の向かい」と言うとわかりやすいと思います。 ワッハは、展示室・ライブラリー・ワッハホール・レッスンルーム・小演芸場(上方亭)から成り立っていました。
このワッハ上方ですが、平成8年の11月に開館しました。そもそもワッハが作られたきっかけは、砂川捨丸の鼓でした。朽ち果てる寸前の状態にあった捨丸の鼓を、当時の参議院議員西川きよしが、教育委員会の東京事務所の服部という方に、この鼓を大阪府で何とかしてくれないかと訴えた事が、ワッハ創設のきっかけになっています。
その後、名人演者、NHK大阪放送局・在阪民放テレビ局・新聞社などが結束し、開館にこぎつけたそうです。

僕が初めてワッハに行ったのは、
開館して間もなく…いや、開館する前だったかも知れません。
僕は大阪の高校の、芸能文化科に行っていました。その在学中、授業の一環として、ワッハのオープンセレモニーに行く機会に恵まれたのです。
そしてワッハホールで様々な演芸を鑑賞した後、展示室を見学しました。でも当時の僕は全くと言っていいほど、この施設の価値を理解していませんでした。
本当に理解できたのは、高校も卒業間近、もしくは大学に入学してからだったと思います。

僕は日を追うごとに、捨丸の事をもっと知りたい!という思いに駆られていました。その時1番に思うのが、実際の映像を見たい!という事でした。
ワッハは見事にその要望に応えてくれました。
普通なら絶対に今更目にする事のできない映像資料の数々。
大学1年目の夏休み、週に4日はワッハに通っている僕がいました(笑)本当に大阪人でよかったと思いました。
同時に、この施設を作ってくれた方々に感謝しました(誰が作ったかは知りませんでしたが(笑)。

その後紆余曲折あり、ワッハは大幅な規模の縮小をされ、ホールはおろか常設の展示すらなくなってしまいました。しかし、なんばの一等地のいう立地は変わらず、映像資料の視聴は可能な状態で何とか存続しています。捨丸の鼓や紋付を生で見る事が出来なくなったのは非常に大きな損失ではありますが、廃止まで検討されたワッハが、何とか生き残った事はせめてもの救いです。
今後1人の大阪人として、また芸人として、この灯を絶やす事なく守り続けたいと思います。

2013/07/30 加筆修正