万歳からのぞきからくりまで 狂言師が実演する放浪芸

三曲万歳

天保の時代に、愛知県の知多万歳(尾張万歳)が三味線や胡弓を導入したもの。
鼓・三味線・胡弓の三つの音色がある事からそう呼ばれます。
これは元々の古典万歳の伴奏にそれらの楽器を加えただけのものと思われ、
現在も見る事ができる三曲漫才の形式になったのは、もっと後の事であると思われます。
地元の説によると、胡弓が入るようになったのは 天保10年(1839)年ごろかららしく、
明治の20年代に村の素人芝居のチョボがわりに使われるようになり、人気が出たらしいです。根は義太夫節で、「忠臣蔵」「曽我」「関取千両幟」などの演目があります。

実際に演じる際の形は、簡単に言えば芝居(歌舞伎)のパロデイのようなものです。
まず開演前の入れ込み時間になると、楽屋総出で舞台に並びます。
出演者が全員一列に並び正面を向く。
そして鼓、三味線、胡弓はもちろん、手が空いた者は太鼓、独鈷、拍子木など何でも持って囃す。
そして「三段目」(忠臣蔵)や「千両幟」などの段ものをやります。
これは外までつつぬけなので、客がリズムにつられて入ってくるわけです。
これが終わると次は「アイナラエ」というなぞ掛けに入ります 。
「この扇子とかけまして」
「あげましょう」
「ここにいらっしゃるお客さんの身の上と解くわいな」
「その心は」
「末に広がる、ではないかいな」
「ソリャアイナラエ」
と、この最後の「アイナラエ」の部分に伴奏が入り全員で歌うわけです。

オマケにもう1ネタ。 お客さんを引っ張り出して
「みなさん、こんなけったいな奴はおまへんで」
「そら、なんでや」
「冷たい飯食って温かいババする」
「ソリャアイナラエ」 さて、この「アイナラエ」という言葉ですが、
どうやら軍隊の「右へならえ」から来たものらしいです。
みんなが舞台に一列で並ぶところから、「相ならえ」としたものだそうです。
これは捨丸伝でおなじみの、吉田留三郎の考証です。
そのような事から、一般的には三曲万歳自体を「アイナラエ」と呼称しています。