万歳からのぞきからくりまで 狂言師が実演する放浪芸

砂川捨丸ってどんなひと?

~叩かれて、鼓とともに、70年~

捨丸の足跡

まず捨丸がどういう人であったか、その略歴を書きます。
もちろん、それだけで一冊の本になってしまいますので、ここではわずか数行に圧縮しております。


明治23年(1890年)大阪府三島郡味生村(現摂津市)に生まれる
明治32年(1899年)千日前の井筒席で初舞台(江州音頭)
明治38年(1905年)萬歳師として独立。捨丸16歳。
明治45年(1912年)10年近く萬歳の上演が禁止されていた神戸で、上演を解禁にした。捨丸23歳
大正13年(1924年)中村春代とコンビを結成
昭和35年(1960年)串本町名誉町民
昭和46年(1971年)10月12日死去。享年80歳

これがとても大雑把な捨丸の略歴です。略歴の略歴ぐらいの(笑)
これを見てわかる通り、捨丸は「明治」「大正」「昭和」という3つの時代を生き、万歳から漫才への歴史を体現した人でもあります。

その変遷については他項に譲りますが、捨丸は最後まで紋付袴と鼓のスタイルを貫き、 大阪角座の引退公演の目前に亡くなるまで、生涯現役であった人です。

途中、中村春代とコンビ結成とありますが、昔の萬歳はそれほどコンビというのは固定したものではなく、中村春代と組む以前は色々な人と組んだり離れたりしていたようです。
よって、捨丸のレコードも沢山ありますが、高橋笑子や中村種春などと組んだものも多数見受けられます。

捨丸の芸域

芸の内容は多岐にわたり、
問答音頭剣舞あほだら経など、そのレパートリーは100を越えたと言われます。
なかでも問答は今もCDに収録されているものが多く、割と聞きやすいと思います。
かく言う私も、1番最初に捨丸に触れたのは問答でした。
基本的にはそういった古くからのネタをしていましたが、
流行歌を取り入れたり、時事ネタをしたりと、ただ単に古いものをしていただけではありません。
本人は「漫才の骨董品でございます。」と晩年は名乗っておられましたが。
今聞くと、びっくりするぐらい新鮮です。
そして、非常によく練られた言葉遊び、絶妙な間。
ぜひ1度聴いてみられる事をおすすめします。
芸というのは、実際に触れてみないと良さがわかりませんからね。
今でも聞く事ができる捨丸の音源など、また機会を改めて紹介したいと思います。