家族
妻の話が出たので、ここで捨丸の家族について書いておきたいと思います。
妻えいとの間には、8人の子をもうけました。8人全員男です。
長男と三男が戦争に取られた事は前に書きましたが、
戦争が進むにつれ次男敏正、四男四郎、五男幸孝も戦争に取られます。
新聞では「軍国の父」「名誉の漫才師」などと書きたてらりれたりもしたそうです。
ちなみに六男安彦、七男勇次は早死にしているそうです。
八男の庄次郎は神戸新聞に勤めておりました。
後に晩年の事を書きますが、その時一緒に住んでいたのが八男と思われます。
そしてえいの死後は、その実妹はなさんが後へいきました。
今では考えられない事かも知れませんが、ほんの数十年前までは、
奥さんが亡くなった場合、その姉妹が変わりに嫁ぐ事は珍しい事ではありませんでした。
そしてはなとの間にも、みな子と照久の2人の子をもうけ、計10人の子をもうけた事になります。
しかし捨丸は、この内の誰にも芸を継がせていません。
これは現在でも考え方が分かれるところですが、
自分の子供に芸を継がせるかどうかは、非常に悩むところだと思います。
古典の世界であれば、継がせるのは慣例ですが、そうでない芸能の場合、特に「型」が重視されない芸能の場合は、サラブレッドである必要性は低くなります。
捨丸がなぜ子供に芸を継いでいないのか、それは今となっては知る由もありません。
弟子
次に捨丸の弟子についても書きたいと思います。
…と思ったのですが、これがなかなかやっかいで、はっきりとした事がつかめないでいます。
現在わかっている方のお名前は、
浮世亭夢丸、浮世亭歌楽、砂川捨次、若丸、夢之助、捨十郎、捨奴、捨若。
二代目砂川捨丸という方もいらっしゃいました。この方の芸は、ワッハ上方の「わらいえて」捨丸追悼の回で観る事ができます。
他にも素人弟子多数。一説によると、総勢100人以上!
しかし僕も映像で見た事があるのは夢丸さんぐらいで、一般的にも捨丸は弟子運が悪いと言われているようです。
事実、現在捨丸の系譜を汲む漫才師はいないのではないでしょうか。
今後もっと調べたいところです。