万歳からのぞきからくりまで 狂言師が実演する放浪芸

萬歳解禁!

萬歳解禁後の捨丸

人気の爆発

さて、漫才解禁に気をよくした捨丸と三野、日の出座で再び幕を開けます。
当然大入り満員を期待するわけですが、何と客席はガラガラです!
これは一体どういう事なのか!?
実は何の宣伝もしていなかった事に加えて、十数年の空白が、観客に漫才というもの自体を忘れさせていたのです!
慌ててチラシやポスターを作り、大入り満員になったのが、公演6日目の事でした。
それはもう、畳の目が見えないくらいに。その大入りが、2ヵ月も続くわけです。一躍神戸では大ブームになりました。それを見届け、一座は大阪へ戻ったわけです。

捨丸凱旋

大阪に戻った捨丸は、凱旋将軍のようなものでした。
そうすると、神戸の興行師から、もう一度神戸へ来ないかという話が舞い込みます。
そして捨丸は神戸の南座に再び立つ事になります。
南座とは、日の出座が改名したもので、この時には太夫元も変わっておりました。

当然客は南座へばかり押し寄せます。
そうするとここで問題が起きました。
しかしながらこの揉め事に関しての詳細は、色々と文献を当たったのですが掴めませんでした。
おそらく、捨丸だけが大当たりを取った事に対する、他の興行師のやっかみのようなものが根っこにある事だと思います。

そして不条理な事に「悪いのは捨丸だ」という流れができあがります。
そこに仲裁に入ったのが、時の氏神で神戸一の大劇場を持つ、樋口次郎吉でした。
これが縁となって、捨丸は樋口興行部の専属となりました。