万歳からのぞきからくりまで 狂言師が実演する放浪芸

戦争の影と捨丸

満州事変から第二次世界大戦まで

しのび寄る影

第二次世界大戦の端緒となった満州事変は昭和6年の出来事です。
今回は昭和6年から、昭和16年の第二次世界大戦開戦辺りまでをみていきたいと思います。

昭和8年にはエンタツ・アチャコしゃべくり漫才を確立しています。
まだまだ当時は戦争の影はあったものの、あまり深刻ではなかったといいます。
しかし昭和12年露慮溝橋事件の辺りから、状況は深刻になります。
その事件の1、2年後、捨丸は巡業で樺太をまわっていました。
捨丸の長男の敏も一行の事務員として同行していたのですが、ある時捨丸に電話がかかってきます。
長男召集の知らせでした。
しかも当時捨丸の妻えいは、子宮ガンのため自宅で病床に臥していました。
そんな時捨丸に、劇場の経営をしないかという話が舞い込みます。
これなら巡業で家を離れずにすみます。

捨丸は巡業を辞めて神戸劇場の経営に当たります。
しかし商売は上手くいかず、悩みのタネは増えるばかりでした。
それに、根っからの芸人である捨丸が、舞台を忘れられるはずがありませんでした。

捨丸は再び巡業に出ます。
今度は満州の、それもかなり奥地まで行ったようです。
当時は排日運動と排日思想が蔓延していて、楽な旅ではなかったそうです。