万歳からのぞきからくりまで 狂言師が実演する放浪芸

捨丸の東京進出と関東大震災

ついに東京進出!

その時捨丸は…

大正12年8月21日から8月一杯、
捨丸は浅草観音劇場万才大会に出演し、東京デビューを果たします。
この時捨丸は、小1の次男敏正、6歳の三男政輝も連れて行きます。
そして公演が終了し、次男と、弟子の捨次の相方中村春代を一足先に神戸に帰らせます。
残ったのは捨丸と、捨丸の相方高橋笑子、三男の輝政の3人です。
この後浅草の帝京座の出演が決まっていた捨丸達は、楽屋を帝京座に移ります。

関東大震災が起こります。

捨丸ら3人は帝京座の楽屋におりました。
当時捨丸32歳。三男を背負い、すぐさま劇場を飛び出します。
しかし街は大混乱、右も左もない状態でした。
捨丸らは浅草の観音さまの境内へ流されてきました。
この時川向こうの本所被服廠後の広場では、一時に何万という人が焼死したそうです。
まさに生と死は紙一重であったと言えるでしょう。

震災後4、5日は握り飯と水で暮らしたそうです。
震災6日目、神戸の樋口興行部から派遣された人が、
食糧と衣料を持って救援にやって来ます。
この人と上手く会えた事は、「観音様のご利益だ」と捨丸は後述しています。

さて、この人が来た事により、中央線が開通した事がわかり、捨丸は神戸へ帰るため、早速日暮里駅に向かいます。

そして大混乱の駅構内をウロウロしていた捨丸は、驚くべき人物に出会います。