万歳からのぞきからくりまで 狂言師が実演する放浪芸

捨丸引退

引退興行と捨丸の最期

生涯現役

捨丸は昭和46年5月12日、突然角座の舞台で倒れて公演は臨時休演となりました。
しばらく自宅療養するうち、容態は良くなったので、捨丸は1日も早く舞台に復帰したかったのですが、医者の勧めもあり、ここらで引退する事となりました。
そして引退興行は、11月の角座と決まりました。

そのリハーサルの意味も兼ねて、自宅近くの神戸松竹座でも10月に引退興行が決定しました。
その楽屋はもう、新聞、放送の記者で一杯になったと言います。
しかし、吉田留三郎によると、カンのいい記者は捨丸が思いのほか弱っている事に気付いていたと言います。
この時の公演は10日間行われました。幸いにもこの時の映像は、大阪のワッハ上方に残っています。この時のパンフレットも、相当貴重な情報が詰め込まれているようです。

無事に神戸での公演を終えた捨丸は、昭和46年10月12日午前4時15分、大阪での引退興行を待たずして、心臓発作を起こし神戸丸山の自宅で永眠しました。
予定されていた大阪での引退興行は、追善興行となりました。その口上の様子は、捨丸没後の中村春代のインタビュー記事と共に、雑誌「上方芸能」に収められています。