万歳からのぞきからくりまで 狂言師が実演する放浪芸

中村春代ってどんなひと?

初代ミス神戸

捨丸の40年以上の相方

言わずと知れた捨丸の相方ですが、コンビを組んだのは大正13年の1月からです。
その後48年間、捨丸が没するまでコンビを解散する事はありませんでした。
もともと彼女は神戸新開地の第二朝日会館でお茶子をしていました。
まぁ従業員という事ですね。

ある時、新聞社による美人投票、つまりミスコンテストがありました。
この時分、芸者が対象の場合が多かったらしいのですが、この時は素人が対象でした。
そこで1等を取ったのが、中村春代です。つまり初代ミス神戸!
そんな事があって特に乞われて中村種春の弟子となりました。

後述しますが、種春は捨丸が明治45年、初めて神戸に乗り込んだ時の相方です。
捨丸が春代を相方に選んだ時、人々は驚いたといいます。
なぜなら、それまでの相方は、その顔からライオンの異名を取る、高橋笑子だったからです。
それが今度はミス神戸を相方にしたわけです。
ちなみに高橋笑子はヤクザにホテル射殺されるという非業の死を遂げています。

さて、よく間違われるのが、
捨丸と春代は夫婦だったのか、という事ですが、これは違います。
実際にどうだったかは別として、戸籍上は2人は夫婦ではありません。住まいも別です。

この辺りについては、雑誌「上方芸能」 の捨丸没後の春代のインタビュー記事に記載があり、晩年の捨丸は息子と暮らしていたようです。
では春代には夫や子供はいたのか?これについては残念ながら何も資料が見当たりませんでした…。

昭和50年(1975年)死去。享年78歳