万歳からのぞきからくりまで 狂言師が実演する放浪芸

名古屋万歳と対立!?

御圓座事件

万歳と万歳

大正10年ごろのお話です。
この時捨丸は樋口興行部専属になっておりました。
名古屋の今枝という興行師が、御圓座での興行を企画、捨丸一行を樋口興行部から買い付けます。
ところがいざ公演という段になって支配人が、
「万歳は名古屋が本場であり、神戸から万歳だ、と大きな顔をされたのでは地元への顔が立たない。捨丸だけは舞台へ上げるな。」
というような事を言い出します。
当時、特に自分の土地に万歳を持っている所以外は、万歳といえば尾張や三河だけのものだと認識されていました。
だからよそ者が本場に乗り込んで万歳をやるのは許せないと言ったわけです。

しかし、捨丸の万歳はもや、そういったものに留まらず、
軽口剣舞、様々な芸を内包していて、双方の思いは大きく食い違っておりました。
そこで今村氏は、
「実際に見て、いけなければ2日目からは出さなくても良い」
と泣き落とします。
これで捨丸が張り切らないはずがありません。
名古屋万歳と言っても、いわゆる古典万歳、
「こんな生ぬるいものでは時間が持たない。ひとつ暴れてやるか。」
と当時の相方、高橋笑子。その顔から高橋ライオンの異名を取っていました。
考えた捨丸、何とこの高橋ライオンを片岡浪子に仕立てて、不如帰を演じました。
もちろん会場は大爆笑。
劇場の支配人も認めざるを得なかったといいます。