万歳からのぞきからくりまで 狂言師が実演する放浪芸

捨丸と串本節


捨丸といえば…
今回は串本節です。
まずはその歌詞をご覧ください。

ここは串本 向かいは大島
中をとりもつ 巡航船
*アラ ヨイショ ヨイショ
ヨイショ ヨイショ ヨイショ

潮岬に燈台あれど
恋の闇路を照らしゃせぬ
*くりかえし

一つ二つと橋杭立てて
心とどけよ 串本に
*くりかえし

障子あければ 大島ひと目
なぜに佐吉は 山のかげ
*くりかえし

恋の串本ただひと刺しに
とげてみせたい この思い
*くりかえし

今回、他にもこんな歌詞を見つけました。

ここは串本 向かいは大島
橋をかけましょ 舟橋を

潮の岬に どんと打つ波は
可愛いショラサン(恋人)の
度胸だめし

わたしゃ串本 漁浜そだち
色の黒いは ごめんなあれ

わしら若いときゃ 津荷まで通うた
津荷のドメキで 夜が明けた..

あし(わたし)のショラサン(良い人) 岬の沖で
波にゆられて 鰹釣る

大島水谷 かかりし船は
お雪見たさに 潮がかり

さて、この串本節は捨丸が全国に広めたと言われています。
おそらく、ある一定以上の年齢の方は、
どの地方でもご存知なのではないでしょうか?


実はこの串本、僕の田舎です。
正確には、母方の祖父の田舎ですね。
そこには親戚もいて、曾祖母もいました。
中学校にあがるぐらいまでは、夏休みと冬休みには泊まりに行ってました。
すごい楽しかったです。
海で泳いだり、山に登ったり、七輪で魚焼いたり、親戚が魚捕ってきてくれたり、
川で泳いだり、でっかい砂利山に登ったり…。
結局曾祖母が亡くなって家が取り壊され(何と1人で暮らしていたのです!)、
串本に泊まりに行く習わしもいつの間にかなくなってしまいました。

閑話休題、
串本は場所的には本州最南端になります。
駅はちっちゃい駅です。
その駅に、この唄の看板があります。

この串本節を全国に広めたのは、
捨丸1人の功績かと思っていましたが、その下地としてこんな事があったようです。

大正13年(1924年)6月
アメリカの世界一周の水上飛行機が串本に寄る事になっていました。
それに集まったのが新聞社の取材陣です。
ところが悪天候により、飛行機の到着が、最終的には10日も遅れました。
その間、時の田島四郎串本町長が、
手持ち無沙汰の記者をもてなすため、宴会を催しました。
その時芸者衆が謡った串本節が記者に受けて、それぞれ習い覚えた。
その後それを各地の宴席で披露した。
…というような出来事があったようです。

肝心の捨丸は、ひいきの旦那に教えてもらったそうです。
そしてそれを全国で披露し、レコードにも吹き込んだそうです。
もっとも、元々の串本節と、捨丸の串本節は若干違うようですが…。

僕が聞いたネタでは、
巡航船を十五銭と謡って春代に突っ込まれてました(笑)
その時は「巡航船が十五銭やねん」と言ってましたね(笑)
そして捨丸は、串本の名誉町民にもなっています。

串本節に関しては、このページが詳しいです。
和歌山県立串本高等学校 串本節の研究
※すでにページは閉鎖されているため、上記はアーカイブです。

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