万歳からのぞきからくりまで 狂言師が実演する放浪芸

妻の死

満州からの帰国

それでも働かねばならぬ

満州の巡業を何とか終えて戻ってくると、妻の病状は一層悪化しておりました。
しかし健康保険もない時代、働かねば療養費も稼げません。
でも家を離れたくない。

本当に辛い選択であったと思います。 とりあえず妻を県立病院に入院させて、
自分は人の勧めに従い、山の町のヤキモチ地蔵というのに毎日お参りしたそうです。
そのうちに今度は三男の輝政に召集礼状がきます。
昭和13、14年頃、妻の病状に回復の兆しはなく、正月は目前に迫っていました。

今でもそうですが、正月は芸人の掻き入れ時です。
この時期に巡業に出ないのは、収入の上でかなり厳しいのは明らかです。
しかし妻の元を離れたくない。
そんな捨丸を見かねた妻えいは、
「私は大丈夫ですから安心して旅に行ってください。」
と言います。
この一言で、捨丸は旅に出る決心をします。

この時は北陸を巡業しました。
そして1月30日、富山の旅館に着いた時、妻の死の知らせが入りました。
明石家さんまがテレビで「現場は戦場や」とよく言っていますが、実は捨丸も絶えず舞台は戦場だと言っていたそうです。
そんな捨丸ですが、この時ばかりは、あと1日あった公演を辞めて神戸に戻っています。