コミュニケーションのための芸能入門

サラリーマン狂言師の放浪芸雑録 第4回 物売り

今回はつかみもそこそこに、サクッと本題に入りたいと思います。
そう言えばつかみで思い出しましたが、夢路いとし・喜味こいしの漫才には「つかみ」というものがありませんでしたね。
スッと出てきていきなり本ネタに入る。そして小さな笑いが起こり、いつの間にか大爆笑に包まれている。
素晴らしい漫才でした。
元々は生放送の時代、進行の都合で自分たちの持ち時間が減った時、できるだけ自分たちのネタを披露するために余計な前喋りを排した、というのがこのスタイルの始まりだったようです。

いとし・こいしと言えば、
師匠が荒川芳丸という人なのですが、荒川芳丸の師匠は玉子屋円辰という人で、
漫才の開祖とも言われる人で、この人は万歳を・・・いとし・こいしの様にスッと本題に入るはずが、また話を脱線させてしまいました。

という事で今回は、いとこい師匠の代表作にもある、「物売り」について書いてみようと思います。
現代に残る物売りと言えば、竿竹売り・わらび餅売り・石焼き芋・豆腐…と、
僕が実際に耳にするのはこのぐらいです(うちの地元にはこんな変わったのがある!という方、ぜひ教えてください)。
しかし昔はもっと色々な物が売り歩かれていたようで、金魚・飴・甘納豆・おでんetcがあったようです。歌舞伎ではういろう売りというのもありますね。

僕が尊敬する物売りに、北園忠治という方がいらっしゃいます。
この方はバナナの競り(叩き)売りの名人で、その売り声は小沢昭一の「新日本の放浪芸」というDVDにも収録されています。
僕も今まで幾人かのバナちゃん節を聞いてまいりましたが、この方の節は格が違います。
重要無形何とか的なものに指定されてもいいぐらいだと思いました。
他の叩き売りの方や、大道芸コンテストなどに出る方の節とあまりにもレベルが違うので何が違うのかと思って、
この方の著書を読み漁ってみたのですが、読んでみて非常に納得がいきました。

先ほど芸と書きましたが、北園さんは芸をしているのではなく、どこまでもバナナを売っているのです。
北園さんにとって節はあくまでもバナナを売るための手段でしかないのです。
だから、調子よく次々と売れている時は出来るだけ節を縮め、あるいは歌わないようにして、とにかく捌く。
そしてお客がいない時は、全力で節を歌い道行く人の耳目を集める。
これをその瞬間ごとに判断し、また残ったバナナの量、今日中に捌かなければいけない量、天気の行方、諸々を考慮して調整する。
「一刻も早く売りの体制を作り、客同士の競り合いムードを助長させて大量に捌く」これが九州バナナ競りの真髄だそうです。
これをずっと続けてこられたのです。
ところが、この節を「芸」としてだけ捉えてしまうと、結局上手に節を歌おうとするだけになってしまい、上記の大道芸コンテストのように一種の嘘くささが出てしまうのです。
あくまでも商人であって芸人ではない、というのが北園さんの持論です。

バナナを売るための手段として歌う節と、バナちゃん節を聞きに来たお客様に聞かせるために歌う節とでは、同じ事をしているように見えて、全く本質が違ってしまっているのです。
これと同じ事は、滅び行く芸能の「保存会」全般にも言えるのですが、それはまた別の機会に。
さらにこの北園さんとは、「のぞきからくり」を介して個人的な交流もあるのですが、これもまたの機会とさせていただき、今回はこれまで!
(敬称略)
参考文献:葦書房「太うして長うしてツンとした 北やんのバナちゃん節」北園忠治

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